GW後半の後半

 こどもの日。GWは明日まであるが、1日を休息日とするため、ファルマンと子どもたちは今日に岡山に帰る。ポルガは朝に姉一家から返却された。姉一家は本日、こどもの国だという。こどもの日にこどもの国。さぞ混んでいることだろうと思うが、混雑なんてこちらで生きる人間にとっては大前提みたいなものなんだと思う。ポルガを送り届けてくれた玄関でお別れする。次に会うのはたぶん年末年始。
 新幹線は14時台の便なのでのんびり。こどもの国ではないが我々も公園とかに行くか、と思うが、ポルガがいつもの感じで若干グロッキー気味なのと、子どもたちに公園を持ちかけたら「行かない。Wii fitする」と即答されたのとで、実現せず。家で過ごす。子どもたちは自宅にゲーム機がない子特有の感じで、よそへ行ったときのゲームへの執着がすごい。まあそれくらいの距離感がいいんじゃないか、という気も実際する。
 焼きそばの昼ごはんを食べたあと、新横浜に向けて出発する。もちろん僕は新横浜までついていくので、母に一家であざみ野まで送ってもらった。
 新横浜では、明日に岡山で落ち合うというファルマンの両親や祖父への横浜みやげを買ったり、別れを惜しんだりする。それから、当初は改札前までのつもりだったが、改札内への入場料が140円だというので入ることにし、ホームまで行った。そしてやってきた新幹線に、妻と娘だけが乗り込み、僕は窓から見える家族に手を振った。とても珍しく、面映ゆい経験だった。
 見送りを終えたあとは、タブレットを駆使し、近くにある手芸屋を検索したところ、ペペの中にトーカイがあったのでそこへ行き、必要としていたものを買う。ひとりで、新横浜で、タブレットで店の位置を調べ、買い物をした、と思った。普通の人にとってはなんでもない行動のような気もするが、なんとなく感慨深かった。
 それから再び市営地下鉄に乗り込みあざみ野へ、とは実はならなくて、今回の日程が決まったときに、これは千載一遇のチャンスだと決行することにした「思い出散歩」をするため、ひとつ前の中川駅で下車する。そして、通っていた中学校、通っていた小学校、幼児期から小学校卒業まで住んでいたコーポ、ラジオ体操をしていた寺、よく遊んでいた公園、「友達ん家」がたくさんあった住宅街、そして通っていた幼稚園などを巡って歩いた。歩いてみたら、これが徒歩で1時間かからない位置関係にあるのだった。地元意識というものが稀薄な僕だけど、この一帯というのは僕にとって紛うことない地元なのだな、と歩いてみて判った。3歳くらいから15歳まで、僕は大体このあたりで生きていたのだ。人生中の悲喜こもごものほとんどがこのあたりで行なわれたのだ。当時と変わった場所もあれば変わっていない場所もあり、とても愉しく、した甲斐のある散歩だった。
 とは言え快晴のポカポカ陽気の下での徘徊である。汗だくになり、大いに疲弊した。実家に帰って、すぐにシャワーを浴びる。そして着ていたものを、帽子を含めてすべて洗濯してもらう。実家に3泊した後の出張3泊、というのが、荷造りをするにあたり大いに頭を混乱させたのだけど、なんのことはない、着替えは3日分きりでよかったのである。キャリーケースの中はすべて清潔、という状態にすることができた。実家は便利だ。
 妻と子どもが帰ったため、実家は祖母と母と叔父と僕という、なにも華やぐ部分のない、壊滅的に陰鬱なメンバーとなり、そうなると晩ごはんも煮物とかになった。まあ煮物とかになるよな、と思った。
 夜、姉にLINEで、思い出散歩で撮影した写真を何枚か送る。姉ももちろん共通の思い出を有しているので、いい反応だった。LINEによって実に姉と語らいやすくなった。こういう距離感の相手にはLINEは有効なのだなー、と思った。
 翌日はGW最終日にして、出張前の移動日である。移動そのものは、東京駅から夕方に発車する便に乗ればいいため、時間はたっぷりあった。午前中から都内に繰り出し、地方都市では満たされないあれやこれやをしよう、という野望もあるにはあったが、地方都市では満たされないあれやこれやってなんやねん、という気持ちもあり、実際さほど浮かばず、調布にあるという武者小路実篤記念館に少し興味があり、そこへ行って、そのあと新宿の大きな手芸屋に行くというコースを考えたりもしたが、昨日の新横浜で手芸グッズは手に入ってしまったので(新宿への思いを断ち切るためにわざとそうした面もある)、荷物が重たいこともあり、まあ別にいいか、となる。それでも本当に東京駅に直行だと、あまりにも自分がつまらない人間であるように思えたので、池袋にだけ出てみることにした。叔父は午前中に広島に向けて帰り、僕は祖母と母と3人で天ざるの昼食を済ませたのち、出発する。山手線は使わず、渋谷から副都心線で池袋へ。2012年に島根に移り住んで以降、練馬に行くときとかに通過したことはあったかもしれないが、降り立ったのは初めて、つまり6年ぶりの帰還だった。かつてはこの駅舎の中で働いてさえいたのだよな、と地下のコンコースを懐かしく思いながら歩いた。そして歩いていたら知っている顔があったのでとても驚いた。かつて、まさにこの駅で働いていた時代に同僚だった、ひとつかふたつ年上の男性だった。彼はいろんな店舗に配属したのち、また元の店に戻ってきていたのだった。しかしこうして気まぐれで歩いていた駅の中ですれ違うなんてミラクルと言っていいだろう。6年ぶりの再会に、お互い大いに盛り上がり、1時間あまりたっぷりと話し込んだ。なんとなくサンシャインのほうにでも行ってみるかなー、くらいに考えていたので、それよりもとても有意義に時間を過ごせた。そして、たぶん普通の流れならLINEを交換するところなのだろうが、そうはせず「またいつか」と言って別れた。
 それから丸ノ内線で東京へ。新幹線の時間まではまだ少し余裕があり、改札を通る前に地上に出て東京駅周辺の街並みでも眺めようかなー、などとも思うが、キャリーケースを引いていることもあり、よす。よしてよかった。「新幹線のりば」という改札を通ったはずなのに、新幹線乗り場にはなかなかたどり着かず、改札の中にひとつの街があるかのように道は続き、ぜんぜん時間に余裕がなくなったのだった。東京こわい。あまつさえ、先ほどたしかに「新幹線のりば」という改札を通ったはずなのに、その中にもういちど「新幹線のりば」という改札があり、頭がくらくらした。近くにいた駅員に、俺はこれをもうさっきいちど通したのだけどここも通るのか回収されてしまわないのか、と訊ねたら、その質問を田舎者に1日2万回くらいされるのか、駅員は「だいじょぶでーす」と無感情で答え、そうしてなんとか2度に渡る改札通過を経て、乗り場にたどり着くことができたのだった。
 そこで今年の僕のGWは終わったような感じ。今も自宅じゃないので、なんとなくそれが続いているような感じもあるが、なんだか不思議な日々だった。