日常乞食

 週末は平穏をテーマに過した。5月に入ってからの10日間ほど、やけにワタワタとしていたため、日常らしい日常を過そうじゃないかとなった。
 土曜日は、GWの前半に注文したファルマンの眼鏡をお店に取りに行った。1週間での仕上がりだったので、実は先週末あたりには出来ていたのだが、ワタワタのために遅くなった。新しい眼鏡は黄色くて大きくて丸い。僕の趣味だ。これは妻をかわいくする目的というよりも、僕がいまこの店で注文するとしたらこれだろうな、というセレクトである。もちろん目の悪さの質が違うため、共有することはできない。しかしもしもいま僕が使っている眼鏡が、ホームランボールとかで破損したらば、僕も同じフレームで注文するだろう。眼鏡がお揃いなんて、とても仲良しの夫婦のようだが、なんのことはない、一方に好みの強い主張があり、一方にそれが著しくないだけである。
 そのあとは公園に赴く。2年前くらいにいちどだけ行ったことのある公園で、園内に水深5センチもない小川が流れていて、足を浸して遊べるので、この時期にちょうどよいと思って行った。小川へは、ポルガは喜んで入り、ピイガは怖がって入らなかった。大人で入っている人はなぜかひとりもいなかったが、我慢できずに僕も靴下を脱いでズボンの裾をまくって入った。水温は思ったよりも低く、気持ちがよかった。他に遊具で遊んだり、もちろん僕はバトンを廻したり。
 帰宅して昼ごはん。焼きそば。
 午後になり、もういちどお出掛け。こんどは買い物。子どもたちの水泳用のタオルや、居間の蛍光灯なんかを買う。蛍光灯は、チカチカし出したわけではまだなかったのだけど、どう見ても明るさが落ちている感があり、もういっそ換えようじゃないかとなった。しかもこれまで昼光色だったのを、ファミリーがごはんを食べる空間なのだから、ということで、オレンジ色の電球色にした。家に帰って付け換えてみたら、雰囲気ががらりと変わり、とてもいいと思った。成功だ。
 そのあとは餃子作りに勤しむ。日常らしい日常と考えたとき、やっぱりスローフード的な発想があり、手数の掛かる料理をしようじゃないかと思ったのだった。もちろん純粋に餃子が食べたかったというのもある。ちなみにスローフードと言いつつも、皮は出来合いのもの。皮はやっぱりハードルが高い。その億劫ハードルはよほどの場面でなければ跳び越えられない。
 出来合いの皮でも十分においしい。これで出来合いの皮が、餡への情熱を台無しにするほど不味ければ状況も変わってくるのだが、別にぜんぜんおいしいのだ。そうしてホーム餃子を、家族でホットプレートを囲み、オレンジ色の光の中で食べた。日常メーターが上昇するのを感じた。
 翌日は雨がちらつく中、図書館へ。前回、GWに向けて家族で思いきり借りたら、ワタワタするばかりで読書はぜんぜん捗らず、たくさんの本を未読のまま返すことになった。なので今回は返却がメインで、それほど借りるまい、と思っていたのだが、気付けば結局、みんなで抱えなければならないほどの量をみんなで抱えていた。まあ図書館ってそういうものだよな。
 帰宅して、昼ごはんはみそラーメンと餃子。
 午後は家でのんびりと過す。僕はミネストローネの調理に勤しみ、野菜をとにかく刻んだ。昨日の餃子でもキャベツを刻んだし、とにかくそういうことをしたかったんだな、と思う。もちろん作業だけが目的ではなく、ワタワタした日々特有の野菜不足感があったので、それを挽回するためのミネストローネ、という意図もあった。10種類以上の材料を抱き込み、鍋いっぱいに作る。夕ごはんに食べたら、もちろんとてもおいしかった。
 そんなわけで、躍起になって、というレベルで日常を過した。その甲斐あって、平穏な日常への飢えが解消した。なんでもない日ばん(ず)ざい(ん)!