この週

 日記を書く間が空いた。6日も空いた。拡散後、これは初めてのことである。出発前夜に「BYAPEN」に書いたが、出張的なことをしていた。そのせいである。
 出張そのものは3泊4日で、水曜日の夜には家に帰ったのだけど、そうそうすぐに日記を書けるわけではない。ツイッターじゃねんだから。しかし出張はこれからも散発する様子なので、とうとう僕もまたタブレットの購入へと心が傾いている。ファルマンと同じで、決してスマホにはしないが、ポータブルパソコン的な意味合いで、タブレットがあるといいじゃないか、となった。今回、3泊4日の出張にあたり、荷物の中に本を3冊入れていったのだが、行きの車中で2冊と1冊の8割(短編小説集のあと残り1話)までを読み終えてしまい、けっこう困ったのだった。もちろんタブレットで小説を読むわけではないが、タブレットがあれば文章を作成したり、なんかいろいろできるようなので、あると断然いいと思った。さらに言えば、出張先で交流を持った目上の人から、「LINEはやっているのか」ということを問われ、僕を除いた集いのメンバーでグループLINEというのが組まれたようなので、そういう点からも必要性が生じた。ファルマンも幼稚園での保護者間の伝達手段としてLINEを始めなければならない状況になり、タブレットを持ったわけで、僕はそれを傍らで眺めながら安寧とした気分でこれまでいたのだけど、とうとう僕の所へもその風は吹いてきたのだった。というわけで、タブレットを持ち、LINEを始めることについては、もうあきらめがついた。しかし先ほども言った通り、あくまでポータブルパソコンとして、必要に迫られて、足を踏み入れるのである。その注釈によって一体なにが救われるというのか、と思われるかもしれないが、この切々とした言い訳によって、ようやく守られる一閃の矜持というものがあるのである。解ってほしい。
 そう言えば日曜日の午後に移動をし、夜に当地へ着いて、その夜中に島根県で震度5強の地震が起り、岡山でも震度4を記録したのだった。遠く離れた地にいた僕は、もちろんそんなことなどつゆ知らず、朝までぐっすりと眠っていたわけだけど、ファルマンはさぞや心細かったことだろうと思う。なにもとてつもなく珍しく出張なんかした日の夜に揺れなくたっていいだろう。あまりのタイミングに、東日本大震災の際、あのときの大相撲の三月場所というのは度重なる不祥事によって開催中止になっていたわけだが、それに関して「力士が四股で大地を踏まなかったから地震が起ったのだ」ということを誰だったかが発言し、それはもう大いにバッシングされた、というエピソードを思い出した。そのくらいのタイミングだった。
 そんなこんなありつつ、本日金曜日は、ピイガの入園式だった。労働を半休にし、もちろん参加する(今週は木曜日しかまともに職場に行かなかった)。3年前はポルガの入園式に、1歳のピイガを抱っこしていったわけだが、今回は3人きりである。天気はよく、気温もほどほどで、行動しやすい日柄だった。これまで体験入園を何度も経た甲斐があり、ピイガは1年前からは考えられないほど入園に対して前向きになり、今日という日をとても愉しみにしていた。やっぱり1月生まれということもあり、年中からの入園でちょうどよかったね、と夫婦で語り合った。式は、主に年少児が阿鼻叫喚の有様で、(こ、これの世話をする仕事だと……?)と幼稚園の先生のことを畏怖する気持ちが湧いた。うちの娘はお利口にしていた。3年前、ひとりで壇上に立ったり、教室では車座に椅子が並ぶ中で唐突に中央の空間にダイブしたりした、不思議な子どもがいて、入園式と言えばその印象が強いのだけど、次女はそんなことしなかったので安心した。もっともピイガがそんなことしなかったことに安心する気持ちよりも、他のどの幼児もそんなことはしなかったわけで、翻って長女の人間性への不安が募った。しかしそれはそれとして、無事に入園である。週明け、月曜日から幼稚園児としての生活が始まる。つまりわが家から、家にずっといる小さい子がいなくなるのである。これまで7年間、それが続いていたので、なんかこれってすごいことのような気がする。僕はそこまででもないが、ファルマンの感慨はひとしおだろうと思う。掛かりっきりの子育てはこれでひと段落なわけで、いたわるべきなのかもしれない。おつかれさまでした。