ファルマン35歳

 4月3日はファルマンの誕生日ということで、お祝いをする。ど平日である。そのため誕生日パーティーながら、料理やケーキは本人にやってもらうほかなかった。長らく冷凍庫の中で眠っていた手羽元があったので、それで唐揚げ的なことをすればいいんじゃないかなー、とぼんやり考えていたのだが、ぼんやりすぎて意思を伝えるのをすっかり忘れていて、月曜日に煮物で使われた。大根と一緒に醤油味で炊かれた。結果的に誕生日の夕餉のメニューは、ハヤシライスになった。誕生日、っぽい、のかな、まあ、どことなく。
 子どもたちは大いに張り切っていた。労働を終えて電話を掛けたら、「帰ってきたら台本を渡すからね!」とポルガに言われた。だ、台本……? となるが、帰宅したら本当に渡された。

  (ポルガ) おたんじょうびおめでとう!
  (みんな) おめでとう!
  (ピイガ) プレゼントをわたします みなさんじゅんびをしましょう!
  (みんな) はいっ(じゅんび)
   (パパ) ケーキのとうじょうです。(はくしゅ)
  (ポルガ) クラッカーようい! (パーン)
  (ピイガ) おかあさん ろうそくをふきけしてください。
   (パパ) そしてまえにでてください!
  (ポルガ) (せきばらい)きょうからなんさい?
(おかあさん) 35さい!
  (ピイガ) ではケーキをたべます!
   (パパ) おいしくつくりました!
                                  おわり

 これを、ポルガ、ピイガ、そして僕用に、3部わざわざ手書きで紙に記し、各自に配布していた。ポルガのさすがさが出たな、と思った。
 ハヤシライスを食べたあと、ケーキを出し、台本通りの寸劇をして(なぜか比較的長セリフのピイガが進行を滞らせる一幕はあった)、歌を唄い、クラッカーを鳴らし、ケーキを食べた。
 つい最近、1週間をひとりで過したから、なお強く思うのだと思うが、これ以上のものはないと思う。ポルガの挙動に対して若干の狂気じみたものを感じつつも、親の誕生日を子どもたちが張り切って祝ってくれるという、それ以上のものなんてない。
 かくしてファルマンは35歳。節目だし、四捨五入で言えば分岐点でもあるので、けっこう感慨深いかと思いきや、意外とそうでもないな。年齢って体重と一緒で、数字の多寡は問題ではなくて、大事なのはその組成の質なのだよな、と最近になって思うようになった。こんなことを思うようになったということは、もう若くなくなったということに違いない。いやそんなことはない。俺は四捨五入したら30歳、ファルマンは40歳だもの。少なくとも俺はまだまだ若い。9月20日までの約半年、これをすごく言い続けようと思っている。