春のひとり暮し

 普段の生活の喧しさにうんざりし、夏や春にこうして妻子が1週間帰省するとなると、それはもう小躍りしながら「いってらっしゃい♪」みたいな気持ちになるのだけど、いざひとりでの暮しの中に身を置いてみれば、ひたすらに寂しさが募り、延々とウェブアルバムを眺めたりしてしまう。喰い貯め、寝貯めができないように、家族との触れ合いによる充足感みたいなものもまた、貯めることなどできないらしい。と言うか、人間の生理において貯められるものなんて果たしてあるのだろうか。若干の脂肪くらいのものではないのか。脳がいくらか大きいところで、そこは結局のところ他の動物と一緒なのだと思った。
 食事は、初日にごはんを2合炊いて、お弁当にも使ったが余らせてしまい、次は1合半にしたが、それでも余らせたので、なんかもう嫌になり、その2回以外は炊いていない。そして蕎麦やスパゲッティを食べた。あと職場のおばさんに「ほうれん草はいるか」と訊ねられたので、ここぞとばかりに「いま妻子がいないもんで……」とアピールをしたら、そのやりとりの2日後にちらしずしをくれた。薄味で、醤油をかけて食べたが、おいしかった。「今週ろくに野菜を食べてなかったから、根菜がたくさん入っててありがたかったです」と次の日にお礼を言った。おばさんのポイントをいたずらに稼ぐ。一種の親孝行みたいな行為だな。
 帰宅して、子どもに惑わされない分、悠々と過せるような気がしていたが、ごはんの準備や後片付けなど、普段はやらずに済んでいることもだいぶあるのだと悟った。そんなことはこんな機会にまみえなくても悟っておくべきだと思いますけども。
 また、帰宅しても家に誰もいない寂しさから、労働が終わったあと、ほぼ車のなくなった会社の駐車場で、居残りのバトン練習をしたりもした。最近になり、とうとうバトンをちょっと投げる段階に入りかけていて、そうなるとどうしたって広い屋外でやる必要があるのだった。夕暮れ時、陽がぼつぼつ沈むような時間帯に、バトンを何度も落としながら練習を繰り返していると、「ひたむきに努力している感」がやけにあり、バトンというのはなにしろ自己演出の行為なので、なんかよかった。一緒に帰るのを待つ幼なじみが傍らにいないのが不思議だと思った。
 妻子は向こうで日々ひっちゃかめっちゃかに過しているようだ。このたび義父の勤務地が家の近くになり、その帰還引っ越しが何日か前に執り行なわれたのだが、それがとても大変だったらしい。まあ大変じゃない引っ越しなんてあり得ないわけだが、なにぶん「思い出乞食」と称されるあの実家への荷物の運搬であるので、その大変さと言ったらやっぱりそれはもう相当のものだった模様である。かくしてファルマン家は、次女、三女、そして父と、半年の間に3度もの引っ越しがなされ、ファルマンはそのすべてで手助けをし、そしてもう4年も引っ越しをしていない自分に対して若干の忸怩たる思いを抱いているのだった。ファルマン家5名のこれまでの引っ越しをすべてなかったことにしたら、労働力を含めて、たぶん三千万円くらい返ってくるだろうと思う。
 この1週間は、まあそんな暮しをしていた。もうひとり暮しは当分いい。うるさいくらいで暮しはちょうどいい。たぶん子どもが帰ってきて3日くらいまではそう思うだろうと思う。