7年目の春の暮し

 土曜日は図書館のついでに公園へと赴く。風がわりと冷たかった。バトンのほか、今回は縄跳びまで持参するが、子ども用のを目一杯に伸ばした長さでもやはり短く、ろくに跳べなかった。ランニングシューズに続き、専用の跳び縄が欲しくなった。ところでランニングは、もうそろそろ始めたっていいくらいの時期のように思えなくもないわけだが、巷のジョガーを見てみると、ウエストポーチや小型のメッセンジャーバッグを着けて走っていることに気がつき、そう言えば携帯電話や財布など、外出時の必需品はそうやって持つしかないのだなと思い至り、僕はそんなものを持っていないぞ、となって、走り出すのを躊躇っている。ファルマンから、「あんたは携帯電話や財布が必要になるほど長い時間どうせ走らないだろう」と呆れられているが、そういう姿勢がよくない。携帯電話や財布を万全に整えてこそ、心ゆくまでのランニングができるんだろうに、と思う。なので次はウエストポーチだな、と思っている。公園は短めに切り上げた。
 図書館に寄って本を借りたあと、家の近所のホームセンターに立ち寄り、ファルマンの仕事用の椅子を買う。これまで使っていた椅子が、いちおうリラックスチェアではあるのだけど、リラックスチェアの中では下等なもので、腰痛や背中痛がこのところひどいということで、新調することにしたのだった。もう平日に下見して、買うものは決めていたので、話が早かった。後部座席を最大限に後ろにやって、子どもたちの足元に大きな段ボールをデデンと乗せて帰る。
 午後になり、このところ咳に続いて頭痛までもがひどかったファルマンが、いよいよ観念して病院に行くことにしたので、子どもにはDVDを見せ、その間に椅子の組み立てをする。ファルマンはこのところ実に体調が整わない様子で、とうとう頭痛を理由に病院に行ったので、大ごとになったらどないしようとドキドキしたが、行ったのは耳鼻科であり、診断結果は本人の予想通りの副鼻腔炎だったとのことで、ひと安心する。副鼻腔炎と言えば2年ほど前の年末年始のことが思い出される。インフルエンザやその後の咳および痰で、炎症を起したパターンらしい。まあ原因がはっきりしたならよかった。
 晩ごはんは新じゃがを使ってのフライドポテトと、手羽元の竜田揚げ。とにかくカリカリの揚がり具合がよくて、卵などもちろん纏わせず、小麦粉も使わず、片栗粉だけで硬派に揚げる。その結果、もはやカリカリを超えてガリガリな仕上がりとなり、満足いく出来となった。ビールがおいしくて感動した。ビールというものはまったく年中おいしいものだな(秋あたりに少しだけ落ち着くけど)。
 翌日の今日は、ポルガが先日のスイミングで、水着と帽子をプールに忘れてきたので、それの回収ついでに、ちょっとした買い物と、ガソリンスタンドで洗車をする。洗車はだいぶ前からする必要を感じていたのだが、なにぶん寒くて、洗車後の拭き取り作業とかのことを考えると億劫で、ここまでずれ込んだ。というわけで数ヶ月ぶりの洗車。相変わらず愉しい。家族で車に乗っていて体験するわけで、サファリパークにも通じるアミューズメントであるように思う。ピイガは本気で怖がり、隣のポルガにしがみついていた。まああの巨大ブラシが近づいてくる感じは、たしかになかなかに迫力がある。洗車後は家族総出で拭き取りをし、掃除機で車内のゴミを吸った。車内の汚れもまた、車体の汚れに負けず劣らず凄まじいものがあり、時間制の掃除機に2回お金を入れて、丹念にやる。結果、とてもすっきりした。洗車の爽快感って、取りとめがなさすぎる家の掃除と違って、あの完結した空間をピカピカにすれば得られるわけで、世のおじさんたちが休日にそれをするのも気持ちが解るな、と思った。思ったところでまた数ヶ月きっとしないのだけど。
 帰宅して、昼ごはんは焼きそば。うまく作れるようになった焼きそばに、目下とてもハマっていて、平日の晩酌にも作ったりしている。寝る前の焼きそばビール(orハイボール)って、なんだかとても不健康な感じがあり、控えようとは思うのだが、それにしたって最近の僕の作る焼きそばはやけにおいしいのである。こんなおいしい焼きそばはいまだかつて、実家でも、縁日でも、スーパーでも、お店でも、食べたことがない。だから仕方がないじゃあないか、という気持ちもある。晩酌での1玉ではない、4玉を使っての製作もものともせず、今日もおいしくできた。コツは、とにかく水分を嫌うこと。だからキャベツやもやしは入れない。野菜は、ニンジンだけいちおう入れたが、なくても別にいい。麺と肉だけでいい。野菜は他の食事で摂ればいい。
 午後は、午前の洗車で勢いがつき、同じく長らくの懸念であった、寝室の大々的な掃除をする。ファルマンとふたりがかりでマットを持ち上げ、ベッドそのものを動かし、壁とベッドの隙間に落ちたゴミや埃を掃除機で吸ったり雑巾で拭いたりという、大掃除レベルの掃除である。思えばファルマンの事務員時代の同僚が、「大掃除を寒い時期にやる必要はない。あったかくなってからやったほうがいい」ということを言ったらしいが、今日はそれを地で行く感じになった。本体だけになったベッドをずらして隙間を露出させると、思わず「うひゃあ」と叫んでしまうような、体に悪そうな有様がそこには存在していて、それを掃除するのは、車に負けず劣らずの達成感があった。このところ続いていた咳がすべてこれのせいであるわけもないが、でもマジでこの掃除によって咳はこれから劇的に治っていくんじゃないかな、と思わせるほどだった。やって本当によかった。
 2時46分になり、黙祷。7年。もう岡山での生活がすっかり板についてきたこともあり、7年前は自分たちが練馬にいたのだな、と思うと、やけに不思議な気持ちになる。大昔の人と違って、現代の我々は「その日暮らし」ではないけれど、かと言ってそこまで大きく違うわけでもないな、と思う。人生をまじめに計画することはもちろん大事だけど、ひとりひとりの計画は、世界のうねりによって、まったく予期していなかった形になることが多々ある。これはいわゆるひとつの、典型的な運命論者の考え方だろう。震災を経て運命論者。我ながらとても分かりやすいな。
 そのあとひとり散歩に出掛け(ジョギングにあらず)、夕飯の材料や、車内の芳香剤などを買う。車がきれいになったついでに、芳香剤まで新調した。すっかりいい気分だが、そんな風にして誰を乗せるのかと言えば、お菓子をバリボリとこぼしながら喰う子どもたちだ。
 晩ごはんは寄せ鍋。お店で鍋スープの数々を吟味したが、どれもしっくり来ず、今日の僕が食べたいのはそういう、商品になるようなコクの効いたやつじゃなくて、あっさりと煮たものをポン酢に付けて食べる感じのやつだと喝破して、鍋スープを買うつもりだった代金でレモン果汁を買った。そうして醤油と酢とレモン汁で、かなりすっぱい付けダレを作り、薄い昆布だしで煮た具材をそこに付けて食べた。これがとてもおいしかった。ファルマンと、思えば我々が子どもの頃の鍋と言えば、こういうものだったよね、と言い合った。なんかいつからか、スープという商品が出てきて、それを選んで何鍋にするか、みたいな感じになっていたが、化かされていたのかもしれない。そうそう、こうゆうのだよ、こうゆうのでいい、こうゆうのがいいんだよ、とちょっと感動しながら食べた。