この世ちゃん

 前に「BYAPEN」にも書いた話なのだけど、「カードキャプターさくら クリアカード編」が、なんか観ていると猛烈にどうしようもない気持ちになる。破壊力が強すぎる。夜に、晩酌をしながら録画したものを眺めていると、特になんでもない日常のシーンとかで、「ぶふぁあっ!」と変な声が出てしまう。それはいわゆるオタクの発する奇声とは異なるもので、そもそも僕はオタクではないし、桜の姿に我を忘れるほど興奮しているわけでもない。むしろ心は冷めているとさえ言える。それなのに、たまに悶え声のようなものが口から発せられてしまう。興奮しているわけではないが、感は極まっているのだ。あまりにもエロい状態になると、抽送したり手で擦ったりしなくても、なんなら勃起という状態を経ずに射精してしまうことがある、と聞いたことがあるが(実体験はもちろんない)、それに近いかもしれない。例え話がそっちに行ってしまうと、なんか余計に話が胡散臭くなるけれど。
 つまりそれだけ思い入れの強い作品だったんだね、と言われればそんな気もしてくるが、しかしやっぱりそれだけが理由でもないだろうとも思う。今回の「クリアカード編」では、前作から歳月が少しだけ経過し、桜たちが中学1年生になっているのだが、ここに大きな理由がある気がする。いくら17年ぶりの邂逅だからと言って、単なる再放送であれば「ああ懐かしいなあ」くらいの感想だろうし、「ゲゲゲの鬼太郎」や「ルパン三世」のようにかつて観ていた作品がリニューアルされて始まっても、「ふうん」くらいにしか思わない。ポイントは、「17、8年ぶり」に、「作品世界ではひとつだけ年度が進んで」続きが描かれた、というところだと思う。だって17、8年前、僕は高校生だったのだ。高校生として小6の桜と相対していたのだ。それだのに今回、中1になった桜と、僕は34歳の二児の父として向かい合わなければいけないのだ。この時空の歪みにクラクラする。心の処理が追いつかなくなる。俺と桜、一体どっちが正しいんだ、と懊悩し、自分の現在地が揺らぐ気さえする。その結果、「ぶふぁあっ!」となる。
 その一方で、中学1年生になった桜の姿を穏やかな目で眺め、「あの桜がもう中学生か……」と感慨にふける気持ちもある。僕の場合、桜は初めて知ったときから年下の女の子だった。そういう意味ではダメージは少ない気がする。職場の、20代半ばの女の子に、カードキャプターさくらが好きな子がいて、当時は小学校低学年だったはずで、彼女にここらへんの感慨について相談したら、「やめてください」と話をぶった切られた。悪いことをした。
 子どもの散らかしたおもちゃに囲まれながら、日本酒を飲みつつ、「桜が、中学生に……」と呟いていたら、いつの間にか隣に来ていたファルマンに、「なにそのこの世一どうでもいい感慨」と呆れられた。妻は「この世一」とよく言う。なんだ「この世一」って表現。