ちょこっとだけやで

 バレンタインデーということで娘たちからチョコレートをもらう。ガーナチョコを溶かし、ハートの型で固め、上にカラフルな細かいチョコレートを散らしたもの。それだのにやけにおいしく感じられたのは、なにかその、気持ち的な、形而上的な、特別な成分が入っていたからやもしれない。ハートの型は、シリコン製のものを購入していて(購入する際にはなにに使うものか、まるでピンと来なかったよね)、ということはこれからは毎年あの型のチョコレートが画一的に贈呈されるのであろうか。されるのであろう。それに対して思うところがあるのか。決してない。毎年固定の型で成形されるガーナチョコレートは、それってもう一種の工場みたいなものだと言える。だからそれに対して思うところがあるというのか。もちろんない。あるわけがない。だってそれには、なにかその、気持ち的な、形而上的な、特別な成分が、毎年それぞれの度合で含有されるのだから、そうして贈られるチョコレートは、毎年ぜんぜん味わいが変わってきて、毎年とても新鮮な気持ちで僕は喜ぶのだと思う。そう思う。それに対しては思う。思うところがないことなどない。深くそう思います。
 ちなみにファルマンからは、「あなたどうせ私が選んだチョコレートだと不満があるでしょ」と言って現金をもらったので、そのお金でチョココとかウィスキー(ハイボール用)とかを買った。さすが結婚9年超、交際開始から14年超ともなると、わかってらっしゃる。「あなたは付き合いはじめの最初のバレンタインの、手作りのトリュフチョコに、それはもう白けたリアクションをしたのだ」と、いったいいつの話を蒸し返すのだという話をまた蒸し返された。僕はプロペ天使、プロペテン師を自称するほどに嘘をつくのが得意なのだけど、しかし人をしあわせにしたり安心させたりする嘘に関してだけはからっきしで、そこだけはとてつもなく正直になってしまうのだった。でもそのくらいの弱点がないとかわいげがないので、それのことはウィークポイントではなくチャームポイントだと解釈している。そしてチョココはおいしい。チョココの、憂いのない、平原のようなおいしさ。
 ちなみに職場でもぽつぽつともらう。習慣のある人と習慣のない人は固定で、いつもくれる人が今年もくれた。友チョコということでもないのだろうが、バレンタインにかこつけて、大袋的なお菓子からひとつずつを、男女問わず配っている人もいて、ブラックサンダーとかハートチョコレート(不二家)とかだと「あざーす」という感じで、ホワイトデーのことも気にせず気楽にもらえるのだけど、これがチョコパイとなると、チョコパイに対してはなんかしらの返礼が必要なのではないかという気にさせられる。そこに境界線みたいなものがある。と言うより、価格とかそういう問題じゃなく、チョコパイというお菓子の威風はいつだって境界線の向こう側にあるのだと思う。チョコパイはロッテだし、なんか実際に北朝鮮とチョコパイの話題というのもあったしで、だとするとこの境界線というワードも、ピョンチャンオリンピック開催中の折、期せずしてなかなか生々しいものに思えてくる。
 まあ、とにかく、ハッピーバレンタイン! まちがえた、ハッピーヴァレンタイン!